2017年08月09日

駿府の江川町の由来



天正年間に韮山代官の江川家の屋敷があったそうです。

色々なところに関係がありますね。

韮山には、源頼朝が蛭が小島に流された頃に入っているはずです。

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この記事へのコメント
天正年間の駿府は、
1585年(天正13年) 駿河国を支配した徳川家康が浜松城より居城を移して築城。
1590年(天正18年)小田原征伐後、江戸に移封となった徳川家康に代わり、中村一氏が大名として入城。
ということになっていますが、
江川氏はどのタイミングで駿府に拠点を作ったのか。
徳川家康と関係が早くからあったのか、小田原征伐で北條氏が滅びたのが原因なのか。
韮山にはずっといたと思いますが、天正年間は移転していたのか。
Posted by 冬苺庵冬苺庵 at 2017年08月09日 15:41
考えてみるに、
徳川家康の駿府造営に伴い、酒造もしていた江川氏は支店のようなものを置いたかもしれないし、
小田原征伐で被災してしまい、復旧するまでは駿府に拠点を移していたか?
Posted by 冬苺庵冬苺庵 at 2017年08月09日 15:53
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